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いつもそこにGoldmundがいた

on 2019年12月2日


2019年12月、めぐろパーシモンホール。4度目の開催となるTHE PIANO ERA 2019。国籍や文化の違いで同じピアノでも全く違う音を奏で出すというのを目の当たりにできるのが醍醐味。今見たいピアニストが世界中から集うこのイベント、今回の急先鋒であろうポーランドのHania Raniについては後日年末のリストかどこかで触れたい。

Goldmundこと、Keith Kenniffである。手元のiTunesによると「The Malady Of Elegance」の追加日が2008年10月。音源では十年来の付き合いでありながら前回十年前の来日公演には行けなかったので本人の演奏を見るというのは実は初めてだ。新宿タワーレコードの最上階の一番奥、エレベーター横の窓際、イージーリスニングとかアヴァンギャルドとかが並んでいたあの一角で見かけたのが出会いだったように思う。当時はポストクラシカルという言葉が出始めた頃だろうか。ピアノ経験者であれば数回聴けば再現できてしまうようなシンプルな旋律。アップライトピアノの機械音、ダンパーペダルの軋み。引き算の美学。

それから十年余、この界隈には数々の才能あるアーティストが現れ、今では大作映画のスクリーンで名前を見かける機会も増えた。あるいは体裁だけをなぞった作品に辟易することもあった。一時の静かなブームは過ぎて、緩やかに衰退しつつあるジャンルであることは否定できない。だが憂うことは全くない。乱造されたポストクラシカルが聴きたいのではなく、Goldmundの作る音楽が聴きたいのだ。Nils Frahmの作る音楽が。Dustin O’Halloranの作る音楽が。

そして今回の公演。「The Malady Of Elegance」を含め過去のアルバムからも満遍なく演奏された。懐かしい曲に耳を傾けながらこの十年に思いを馳せた。結局ピアノを買うことになったし、彼らの音楽が全く聴けなくなったこともあった。一切から距離を置きたい時もあった。それらを全て赦すかのようにKeithのピアノが会場に満ちた。

公演後、間近で見た顔はよく見た写真よりしかし深みを増しているようだった。彼に伝えたいことは山程あったが碌に言葉にできなかった。それで構わない。いつもそこにGoldmundがいた。一緒に写真を撮ってもらって会場を後にした。